明治神宮・100年の森の紙芝居 『明治神宮・100年前からのギフトの杜』
東京・明治神宮の杜が、先人たちの知恵・工夫で創られた永遠の杜計画でした。
その紙芝居をどうぞ!!
明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后がお祀りされている。創建は1920年11月1日。
初詣の参拝客は日本一を誇る。
ちなみに、正式名称の「宮」の漢字には「口」と「口」の間の「ノ」が書かれていない。
建立されたばかりの明治神宮を描いた絵ハガキ。
今の明治神宮との大きな違い…木が足りない!実はこの場所・・・
元々は荒れ地だった。今のような豊かな森があるなんて想像できないようなやせ細った木々があるだけだった。
この状態から今のような"鎮守の森"になるまでには、先人たちの様々な想い・知恵・工夫があった。
そう。明治神宮の森は、「時代を超えた100年の先人たちからのギフトの森」だったのです。
時は1912年。明治天皇崩御。
全国から哀しみの声と共に
「我々に希望を与えてくださった明治天皇をお祭りする神社を創建しよう」
という声が大きくなります。
明治天皇をお祀りするお社には、相応しい"鎮守の森"が必要。
だが、東京のど真ん中にそんな豊かな森はない。そこで・・・
日本を代表する森林博士の3人(「公園の父」と称された本多静六、その弟子の本郷高徳と上原敬二)を中心としたプロジェクトチームが結成された。
せっかく我々が計画するなら、この土地を、
"今”だけでなく、100年先の未来の人たちも喜んでくれるような立派な森にしよう。
100年、150年先にも明治天皇の森を遺そう。
こうして森の作り方をまとめたのが明治神宮の森の計画書『明治神宮御境内林苑計画』。
『永久に荘厳・神聖なる林相』と書かれている。
これは、永遠に続く森、という意味。
明治神宮を永遠の森にするために、3つの条件を考えた。その条件とは…
1. 東京の気候に合う森にする
2. 天然の森にする。
木をある程度植えたあとは、自然に何も施さなくても森になるようにする
3. 明治天皇を祀る神社に相応しい森にする
この3つの条件に沿って計画がスタートした。
永遠の森にするために、4つの段階に分けて計画されている。
第1段階は「仮説の杜」
マツの木を中心とした古い針葉樹やその場に既にあった木を整えた。
第2段階は、50年先を見据えた植樹。
最初に植えた針葉樹の子どもともいえる新しい針葉樹に、
シイノキやクスノキなどの広葉樹を植えていく。
第3段階は100年後を見据えて。
広葉樹が大きくなり、新たな木が少しずつ増えていく。
その間にヒノキやスギを植えていく。
ここまでくれば、あとは木々たちや、木に纏ってくる鳥や虫たちが種を運んだり森を耕したりしてくれる。
そして第4段階(最終段階)は150年後。
ちょうど、令和10年前後。
様々な種の木々が共存し、人の手を使わなくても自ら世代交代をしてくれる、「天然更新」の杜になる。
この4段階をまとめると・・・
『木々たちの永遠の杜リレー』が始まるのです。
第1走者から最終走者までの杜のリレーです。
この壮大な計画は3人だけでは出来ない。そこで・・・
『明治神宮の杜を創るために、全国から選りすぐりの木・その木を植えてくれる人々が必要だ!』と
木々と職人たちを公募したところ・・・
全国各地から沢山の職人たちが集まりました。
集まった職人たちは述べ11万人!
更に・・・
選りすぐりの木々も、日本のみならず
ロシア、韓国、タイ、中国からも大木が木々がやってきました。
その数、およそ350種、12万本にもなるそう!
国を挙げた壮大なプロジェクトになった。
そうして…令和5年。創建100年を超えた今、
想定よりも早くこの森は完成し、今では誰もが知る大きな森となった。
大都会の真ん中の杜の風景は、都市ならではの景色が広がる。
原っぱの奥に大きな森、その奥には大きなビル。
自然と文明が見事に調和したこの風景は、
人々の想いと森のリレーによって出来上がった。
100年まえの先人たちはきっと、
今の明治神宮の豊かな姿を天から見守って、喜んでくれている。
明治神宮の鎮守の森は、100年という時空をリレーした、
時代を超えたギフトだったのです。
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